2011年10月24日 (月)
2011年10月17日 (月)
ツレうつを見る。
私は読書が嫌いだ。
意外と思われがちだが小説の類は大嫌い。
性格的な問題だが、「ノレない」のだ。
しかも大概のオチが読める。
展開を推測してしまう事が問題なのだろう。
だから興味が沸くのはノンフィクションやドキュメンタリー。
ジャンルはアンダーグラウンドやサブカルチャー。
ニッチなリアルを探求する事を好む。
そんな私は映画も嫌いだ。当然である。
物語に「ノレない」し、「オチ」も見える。
その上、映画館で「じっとしていなければならない」から尚更無理。
生まれて35年が経とうとしているが、
映画館で映画を見た回数は両手を必要としない。
だけど、結末は気になる。
興味は無いが、無知である事は避けたい。
そんなときはgoogle先生に聞けばよい。
良い意味で合理主義。悪い意味でその他全て。
こんな荒んだ心を持つ私が、最近映画を見た。
(前置き長いっすね)
見た映画は・・・
「ツレがうつになりまして」
ストーリーはリンク先なり、
それこそググってみてほしい。
何故、見に行ったかというと私の実生活に重なるところが多いから。
実話を元にしているとはいえ「物語」のはずが、
私個人には「リアルドキュメンタリー」として感じられた。
私は両側を経験している。
つまり妻ハルさん側と、夫ツレ側である。
興味が沸く必然性が、そこにあった。
当然見ていて響くわ、刺さるわ・・。
「うつ」という病気は自分を客観的に見る事で、
症状がひどくなってしまう。
「風邪」ならば、現実として体温が上がり、
身体がしんどくなる。
「癌」ならば、悪性腫瘍ができ、免疫力が弱まり、
身体がしんどくなる。
「うつ」は、気がついたときに病気に陥りやすい。
「なぜ気持ちが乗れないんだろう」
最初は疑問を感じ、
↓
「なぜ気持ちが乗れてたころに戻れないのだろう」
健常時からの乖離を感じ、
↓
「早く戻りたい、頑張ろう!」
打開しようとするが、
↓
「頑張れない。頑張れない。頑張りたいけど、頑張れない・・」
結果が伴わない焦りに追い込まれ、
↓
「もう自分は戻れない」
負に収束する。
私が感じた「うつ」のメカニズムです。
非常にロジカルに展開していく。
だから神経質な人や、物事に慎重な人ほど
かかる病気なのだろう。
今の事態を自分自身が一番理解している病気。
それがうつ病なのだと思う。
ここを理解していない人が多い。
だから優しさのつもりが、庭を土足で踏み荒らす結果となる。
いつも笑っていなさい。
強靭な心を持ちなさい。
知ってるよ!って。
その人は励まし、鼓舞しているつもりだが、所詮高みの見物。
同目線に居ない以上、圧力でしかない。
希望とも思えない。あまりに距離が離れすぎていて。
在り来たりな言葉になるかもしれないが、
「うつ」を退治するには、
「理解」することが近道になる。
今や100人に1人が、うつ病にかかる時代。
患者のほとんどがサラリーマンや社会人。
働き盛りの20代後半~40代の中間層が主である。
凌ぎを削る事で人は成長してきた。
疲れたときぐらい分かち合う事で癒されたい。
うつ病が特異な事じゃない。
当たり前の事が希望になる現代が間違っている。
2011年10月 3日 (月)
言葉にできない・・・
フランスの詩人、アンドレ・ブルトンがニューヨークに住んでいる時に、
ある物乞いと出会ったという話より。
その首から下げた看板には、
「私は目が見えません」
と書いてあった。
しかし彼のアルミのお椀にはほとんどお金が入っていなかった。
そこでブルトンは彼に言葉を変えることを提案し、
自ら看板に、
「春はまもなくやってきます。
でも、私はそれを見ることはできません」
と書き直した。
すると何人もが立ち止まり、物乞いのお椀にはお金が集まるようになった。
・・・同じ内容でも伝え方によって、相手の心を動かせるかどうかが違ってくる。
育児に忙しいカミサンに、
「なんか手伝おうか?」
なんて聞こうもんなら、
「手伝うって何よ!だいだいあなたは何にもしないから・・・(爆発)」
となる。
これを
「なにかできることはあるかな?(笑顔)」
と言い方を変えるだけで
「ありがとう!(笑顔)」
となる。
「手伝う」って言葉が持つ、
「本来自分の仕事じゃないけど・・・」というニュアンスが、
相手の怒りに火をつけるようである。
夫婦ゲンカならまだしも、
伝え方を間違えて、職を失った大臣も、最近何人かいた。
「沈黙は金」なのか・・・。
言葉に気をつける意識が必要なのか・・・。
わびすけ





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