砂上に眠る一等星 ~ホクトベガ~ Vol.1
本日からブログレギュラーとして記事を書かせて頂く事なりました。
テーマは「競馬」
ギャンブルとしてだけでなく、それに関わるドラマに焦点をあて、
何か感じていただければと思います。
性別:牝馬
父:ナグルスキー
母:タケノファルコン
生誕:1990年3月26日
一昔前、日本の馬は海外で勝てない。そう言われ続けてきた。
最近ではやっと勝負になるところまで来て、G1勝利の報が
日本に届くまでにもなったが、未だ壁は厚い。
様々な馬が、それぞれの夢を背負って海外に旅立ち、
その実力を発揮することなく帰国した。
競馬は難しい。
馴染みのあるところでいうと、あのディープインパクトでさえ、
凱旋門賞で厳しい結果を迎える事になった。
しかし、そんな馬たちと、彼女は違っていた。
悲しい一点で、違っていた。
彼女、ホクトベガは無事に故郷へと帰ってくることすら、
出来なかったのである。
~G1馬の変身~
彼女は間違いなく、日本のダート競馬の最強馬だった。
デビュー前、牧場や厩舎での評価は高くなかった。
3歳になってからの初勝利は、一般的に遅く、ダート戦だった。
ダートで2勝した後、芝の重賞を勝ち牝馬クラシック路線に乗り、
秋のG1エリザベス女王杯ではついに殊勲の勝利を上げる。
(1993/11/14 エリザベス女王杯 画面左 ホクトベガ)
その後、芝のレースで使われ続けG1優勝馬としては
物足らない成績を残していた。
デビューが遅かったようにサラブレッドとしての完成にも
時間が掛かる馬だったのだろう。
いずれにせよ、G1タイトルを取った牝馬である。
引退して繁殖に上がっても何も不思議は無かった。
だが、彼女は走りつづけた。
6歳を迎えた彼女は、障害入りまで検討され、飛超練習まで
行われた。G1馬が障害入り。都落ちと評される事もあった。
実際に、障害レースで走る事は無かったが、
取り巻きの目は、彼女を卑下するものに変っていった。
ホクトベガは久々にダートのレースに出走した。
川崎競馬場で行われたJRAとの交流競走エンプレス杯である。
地方競馬と中央競馬の垣根を次第に取り払おうという動きから、
交流競走が積極的に行われるようになった丁度その時代に、
ホクトベガの全盛期が始まったのは、一つの縁と考えて
いいかもしれない。
当初は、苦し紛れの出走という見方が多かった。
G1を優勝している以上、中央では重い斤量を背負わされる。
実力馬に科せられるハンデである。その度に惨敗を繰り返す。
その為に地方に活路を見出した。そんな見方である。
しかし、この下馬評は見事に裏切られた。
(1995/06/13 エンプレス杯)
このレースでのホクトベガの強さはケタ違いだった。
雨でぬかるんだ不良馬場だったが、楽々逃げ切り18馬身差という
決定的な着差をつけてみせたのである。
普通ならば引退する年齢である6歳。彼女が走りつづけた結果である。
それはファンがG1馬としての底力に驚嘆し、
信頼を取り戻すと同時に、彼女が変身した瞬間だった。
(To Be continued)









































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