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2007年6月15日 (金)

記憶と記録

初めまして。
ブログピンチヒッターの【レグルス】です。

私は競馬が好きで、付き合いはかれこれ十数年となります。
勿論ギャンブルとしての競馬も好きですが、
歴史を感じさせる血統、個性の強い馬達に魅力を感じずには居られません。

私の好きな馬の1頭に「ラガーレグルス」という牡馬が居ます。

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私の名前の由来になっている馬です。
ディープインパクト・ナリタブライアンのような華々しい戦歴では
ないので、ほとんどの人は彼のことを知らないでしょう。
しかし、彼を知れば知るほど悲哀と激励の情が産まれて来ます。
そんな馬「ラガーレグルス」の事を話してみたいと思います。

天皇賞馬サクラチトセオーを父に持ち、1999年9月にデビュー。
前評判通り順調に勝利を重ね、12月に初重賞制覇。
来年のクラシック候補生としてスター街道を歩み始めるのであった。
彼の持ち味は、強烈な末脚。
直線だけで他馬をゴボウ抜きする様は、見るものを圧巻させた。
生まれつき持った驚異的な闘争本能が成せる豪脚だった。

しかし、その闘争本能が彼の運命を大きく揺るがすことになる。

年が明けて2000年2月、共同通信杯で事件が起きる。
前年の活躍で、2番人気までファンから推し上げられていた。

スターターが台場に上がり、各馬がゲートに誘導され、
スタートが切られた。
その時、東京競馬場に駆けつけていた数万人の悲鳴が木霊した。

「ゲートから出ない馬が居る」
各馬が一斉にスタートし先手を争っているというのに、
未だにゲート内で立ち止まっている馬が居たのだ。

彼だった。
闘争本能が上がりすぎ、ゲート内で放心状態になってしまったのだ。

ようやく騎手に押し出されるようにゲートを出たのだが、
その時既に前方の馬とは20馬身以上離されていた。
1800mのレースでの大幅な出遅れは完敗を意味する。
しかし、彼は諦めず能力だけで11頭中7着で入選した。
タイムは1506。1位の馬から0.9秒差だったことを考えると、
ゲートさえ上手く出ていれば、圧勝だったことは誰もが頷く所であった。


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結果的には残念な着順で終わったが、
ファンの脳裏に、彼の能力と強烈な個性を印象付けるには十分だった。
また大幅な出遅れというのは、そう起きるわけではない。
ある意味、事故と一緒。笑い話の一つとしてファンの中でも消化されていた。

能力が高い事は実証済みであり、案の定次走の弥生賞では
普通にゲートを出て、強烈な末脚で3着に滑り込み、
G1皐月賞への出走が決まった。

この年はアメリカから輸入された種牡馬サンデーサイレンスの産駒が活躍していた。
その中で、日本で生まれ活躍したサクラチトセオーを父に持った彼の活躍は、
北海道の馬産地からも夢と希望を託されていた。
外車に対抗する日本車の意地といったところか。
彼は能力以上に、様々な方面から注目される存在になっていた。

そして迎えた皐月賞。
1番人気は重賞連勝中のフジキセキ。サンデーサイレンスを祖父にもつ馬だ。
2番人気はサンデーサイレンス産駒で弥生賞で2着になった、エアシャカール。
そして、3番人気がラガーレグルスであった。

18頭立1枠1番だった彼はゲートに入る時も、1番先に誘導される。
他の17頭をゲート内で待たなければならなかった。
この後起きる大事件の伏線は、既に始まっていた。

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闘争本能が極端に高い彼は、他馬を待つ間も当然テンションは高まっていた。
必死に騎手が宥めるが、最後の1頭がゲートに入った時に、
そのテンションは沸点を超えてしまった。
ゲートが開いた瞬間、彼は感情が抑えきれずゲート内で立ち上がってしまい、
騎手を落馬させてしまった。
当然、この時点で競争中止である。
その後も中々ゲート内から出なかったが、他馬が周回してくる前に
なんとか馬・騎手・ゲート共に馬場の外に出すことが出来た。

その後、彼はゲート試験に不合格になり、競走馬登録を抹消することになる。
ファンが多かった馬なので、署名運動やマスメディアをも巻き込んだ論争となった。
しかし、サラブレッドとして産まれたからにはルールを守らなければならない。
能力があるのに、強すぎる個性の為に彼は引退せざる得なかったのだ。

彼への見方は様々あると思う。
ゲート審査という最低限の競走馬としてのルールが守れなかった彼を、
駄馬と罵る者も居るだろう。

能力が有りながら自虐的に退路を築いた彼に対し、
同情の眼差しを向ける人間も居るだろう。

私はというと、
このブログで7年の時を経て、彼を書いている事が事実である。
毎年G1優勝馬は述べ20頭いる。
彼が活躍していた時代から数えると140頭も出現している。
しかし、私の頭には今も鮮烈に彼の記憶が刷り込まれている。
私以外にも、彼の存在を覚えており愛して止まない競馬ファンは沢山居る。

確かに記録として残らなければ、現役時代恵まれる事も無いだろう。
記録という礎を築かなければ、将来裕福な余生を送ることも出来ないだろう。


ただ、人間も一緒でやがて人生には終止符が打たれる。
生きる幸せは1人分かもしれないが、想われる幸せは計り知れない。
本当にその人生が良かったかなんて、終の時まで分からないと思う。


私は家訓として
「死ぬときに笑っていれば、人生勝ち組である」と教えられてきた。

頑張れば誰だって1位は取れる。
巨万の富を得る事は、そんなに難しいことではない。
ただそれがイコール、周りから愛されて慈愛に満ちた人生かと
言われるとそうでもない。

私は彼の姿から、
記憶に残る個性を大事にする事、
記録に残せることの有難さと
人に想われることの幸福を教わった気がしました。
その様な社会人、人間になれれば幸せだな。。
と思う三十路のレグルスでした。

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コメント

初めまして。ラガーレグルスのことを知りたくて調べているうちにここにたどり着きました。競馬についてはよく知りません。テレビで放映している時にみるくらいです。昨日、とあることでラガーレグルスの記事を目にしました。完全に引き込まれてしまいました。気になり調べてみるとすでにずいぶん前に引退されたとのこと。載せていただいている写真は引退後の様子ですか?とても愛嬌がありますよね。現役時代にその存在を知っていれば。悔しい。とても愛されている馬なのでしょうね。昨夜は眠らずレグルスの記事を探しまくるありさま。すっかりファンになってしまいました。

投稿: 田 麻里 | 2013年5月27日 (月) 23時43分

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