東京を美女に例えるそのココロ。
「現在の東京中には何処に行くとも心より恍惚として去るに忍びざるほど
美麗なもしくは荘厳な風景建築に出逢わぬ限り、いろいろと無理な方法を取り
これによって僅かに幾分の興味を作り出さねばならぬ‥‥
西洋文学から得た輸入思想を頼りにして、例えば銀座の角のライオンを以て直ちに
巴里のカッフェーに擬し帝国劇場を以てオペラになぞらえるなぞ、むやみやたらに
東京中を西洋風に空想するのも或人には或いは有益にして興味ある方法かもしれぬ」
永井荷風などもたまには読んでみる狛犬です、こんにちは。
さて、冒頭に引用したのは荷風先生の『日和下駄』からの一節。
ここで何が言いたいのかというと、東京というのは共同幻想の産物に過ぎない、
というひとつの見方についてでありまして、それについて少し考えてみようかしら、
というのが今回の“気分”です。
注)気まぐれ都市総研ではこの“気分”というのを大切にします
まず、東京という都市がある。それに付随して東京論が生産される。
このプロセスは正しいように見えます。しかし東京(あるいは都市)というのは
単なる物理的な被写体であるというよりは、古今東西無数の人々の手垢にまみれた、
—「東京」という— ひとつの巨大な記号なのだと思うわけです。
言葉は、単純にその言葉の意味を指す「内包」とその言葉に付随するイメージである
「外延」を併せ持っています。例えば「牛」。その内包は「牛」という言葉が意味
する哺乳類で草食でモウとなくアノ牛です。しかし「牛」という言葉からはノロマな
人やマクドナルドを連想させます。これが「牛」という言葉の持つ外延です。
そこで本題に戻ると、単なる首都の名称、地理的区分の名称に過ぎない「東京」。
しかし否応なしに色々なイメージを喚起させずにいられない魅惑的な響きが「東京」
という言葉にはあって、昔から色々な沢山の人々がそれぞれの「東京」について
書き、撮り、描き、歌い、生活し、それらが新たな「東京」を作り上げる。
北斎、小津安二郎、アラーキー、リリーフランキー、女子高生にホームレスの方々‥
東京タワー、六本木ヒルズ、ハチ公にiPod‥幻想が風景を生み、風景は幻想を生む。
絶え間なく消費され、更新され続ける「東京」のイメージ‥‥
無数の人々のイメージ(共同幻想)としての、或は、巨大な記号としての都市。
その都市をめぐって書かれた都市論にしても、それはイメージとしての都市を土台
としたものであるばかりか、更にはそれ自身が都市のイメージの増幅に寄与する
という永劫回帰の循環は、コロンブスと卵の問題のごとし。・・・本文しかり。
さて、この前提に立つならば、都市のダイナミズムはイメージの更新性にある、
という見方も可能になります(いわゆる観光地などはこのことを逆手にとって、
その場所のイメージの固定化に力を注ぐことで、観光地たりえてるわけですが)
言い方を変えれば、その都市がどれだけ多様な「読み」に耐えられるか否か。
または。人々の欲望を刺激し空想を促す装置たりえるか否か。
優れた文学作品は、様々な「読み」が可能であり、その尽きない可能性こそが
名作の条件であることを考えると、優れた都市は優れた文学作品に似ていると
も言えそうです。もしくは・・・一人の美女?
西洋と東洋と江戸と近代が混在する東京。カオティック・ラビリンス。早くも大正の
はじめに、東京を自由に空想する事に東京らしさを見出した荷風先生はさすがです。
しかしながら、東京だけでなく、パリ、ローマ、ニューヨークなど、優れた都市には
いづれも同じ魅力がある気がします。では、東京の独自性とは?
ということで、次回からやっと本題へ。((((っ・ω・)っ では、ごきげんようω
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コメント
たしかに狛犬さんのおっしゃる通り、
『原宿』『青山』『六本木』『銀座』と、
それぞれ年代の違う女性の要素をすべて含有した、
大人の女性なのかもしれません。
『新宿』『池袋』『上野』『浅草』のような男っぽい面も
持っているところも、オトコ心をくすぐるのでしょうか。
アネゴ肌のような一面が・・・。
狛犬さんいかがでしょうか?
投稿: さまのすけ | 2006年10月 6日 (金) 19時47分
>「東京」という— ひとつの巨大な記号。
フムフム。
>「内包」と「外延」。
フムフムフム。
>幻想が風景を生み、風景は幻想を生む。
・・・・
>増幅に寄与するという永劫回帰の循環は・・・・・
プシュー@@
注)風の谷では、この“フィーリング”を大切に読みます。
投稿: ナウシカ | 2006年10月11日 (水) 00時20分
さまのすけさま。
コメントありがとうございます。
年代の違う女性の要素をすべて含有‥!
つ、つまり、女性の象徴‥!!‥‥という妄想が(笑)
年代の違う女性の要素をすべて含有しているということ。
見方を変えれば。
見る人によって様々なイメージを喚起する存在であるという
ことですね。それこそがまさに!さまのすけ様のたとえの妙
には唸らせられました!
その街が時には男らしく時には女らしく見える。
しかしそれはまったく自分の気分次第。街は様々な表情を見せる
だけ。街は街でしかない。決して「街が女らしい」わけではない
のだけれど、そんな「いじらしさ」はまこと女性のようである‥
こんなニュアンスでもイケそうです。うむ。
長々と失礼しました。。
PS
オトコ心をくすぐる街というのは当然ありまして‥‥‥(以下略)
投稿: 狛犬 | 2006年10月11日 (水) 02時11分
風の谷のナウシカさま。
すがすがしいコメントありがとうございます。
言葉のワナにとらわれてしまわぬようにせねば。
フィーリング、フィーリング。
ナウシカ様のコメントを読み、思わずしりあがり寿の
漫画(『ひげのOL』)を手にとった狛犬でした・・
投稿: 狛犬 | 2006年10月11日 (水) 02時24分
幻想と聞くと
とても嗜好性の高い大人な響きがありますね
でも連想と聞くと
昭和な自分はNHK連想ゲームを思い出してしまいます。
狛犬氏の文面から言霊の存在を幻想し、連想しました。
投稿: けみぼん | 2006年10月24日 (火) 01時02分
けみぽんさま。
「言霊」という言葉自体に言霊を感じてしまいますねぇ。
例えるなら・・ 昔の童謡の歌詞(通りゃんせ、かごめ・・)から
感じるのと同じ感慨を抱かずにいられません。。日本書紀ばりに謎の領域。
>NHK連想ゲーム
いいですね!今度是非連想ゲームをやりましょう!笑
投稿: 狛犬 | 2006年10月26日 (木) 23時02分
やりたい!連想ゲーム!
きっと又、色んな人の意外な素顔に出会えるね。
へへへっ(* ̄∀ ̄*)きゃ~♪
忘年会あたりに・・・如何でしょう?笑
投稿: ナウシカ | 2006年10月29日 (日) 00時27分